江戸時代の寛文(1661年~73年)の頃、盲目の沢市は、お里と壷阪寺の近くに所帯を持っていた。
三年ほどたったある日、毎晩外へ出かけるお里を激しく詰(なじ)った。
すると彼女の口から、沢市の眼が治るように毎晩壷阪の観音様に祈願しており、今夜が満願の夜であることを知らされた。
思いがけない事情に驚き、自分の疑心を恥じた沢市は、観音様に夜参りに出かけた。
二人が奥の道まで来た時、お里は数珠をとりに家に帰った。
その間に沢市はお里に苦労をかけるわが眼が憎く、思いあまって谷底に身を投げた。
それを知ったお里も夫の後を追った。
しばらくして気づくと沢市の眼は開き、くっきりとお里の顔が見えた。
この物語は明治の初め、浄瑠璃「壷坂霊験記」となって広く知られるようになった。
現在、壷阪寺には二人の像のほか、沢市の杖や物語の絵が残っている。
壷阪寺地図
アクセス
近鉄吉野線「壺阪山駅」より車で約7分