文禄3年(1594年)柳生家中興の祖、宗厳(むねよし)は自ら編み出した新陰流の極意を家康に披露した。
家康は新陰流を徳川家の兵法と決めたが、この時、宗厳は66歳の高齢であったため、嫡子宗矩(むねのり)が仕官することになった。
宗矩は、関ヶ原の戦いをはじめ、大阪夏の陣、冬の陣で活躍。一万二千五百石を領する大名となった。
寛永15年(1638年)には、父宗厳の菩提を弔うため、柳生の里に芳徳寺を建立した。
宗矩の子、十兵衛三厳(みつよし)は慶長12年(1607年)に生まれ、幼い時から修行に励み、剣の奥義を極めるため諸国を遍歴した。
しかし、これは父宗矩の密命を受け、西国大名の動きを探るためだったといわれる。
芳徳寺(奈良市柳生下町)には三厳が着用したといわれる胴着や刀などが、今も数多く残っている。
芳徳寺地図
アクセス
JR関西本線「笠置駅」より車で約12分