昔、神野山(こうのざん)に大和天狗の大将である鼻高天狗が住んでいた。 ある日、日頃から仲の悪かった、東隣りの伊賀の国(現在の三重県)の青葉山に住む伊賀天狗の大将から喧嘩を挑まれた。 思案の末、神野山天狗は、谷川から運び上げた八畳敷の巨岩を頭上にさし上げて、相手方をにらみつけた。 それを合図…
寛永15年(1638年)、時の南都奉行・中坊飛弾守は寺に移転を命じた。 ところが、その直後から悪疫がにわかに流行し、飛弾守の愛孫も原因不明の難病にとりつかれてしまった。 占いによると、”墓のたたり”と出たため、移転を取り消し、奉行職も辞任し、非礼をわびに寺に参詣した。 その帰り途、中興開山…
その昔、寺に近い溜池(ためいけ)に竜が出没して、毎夜農作物に被害を与えていた。 困りはてた農民の訴えを聞いた住職が、ある夜その場所に出かけてみると、闇の中で竜が大暴れしていた。 もしや本堂の大竜では、と住職が急いで寺に帰り竜の絵の眼を槍で突いたところ、それ以来、竜は出現しなかったという。 …
717年唐に渡った吉備真備は聡明であったため、ねたんだ唐人たちに高樓に閉じ込められ、食事も与えられなかった。 するとある夜鬼が現われ、もとは日本の遣唐使であったが、この高楼で飢え死にした身の上を話し、この国の様子を教えた。 翌朝、鬼に食われなかった真備に驚いた唐人は、次つぎに難題を投げかけた…
国の官寺として威容を誇った大安寺には、東西両塔が高くそびえていた。 その塔は黄金造りであったため、闇の夜でも眩しく輝き、その光は山を越えて、はるか彼方の大阪や堺の海まで照らしていた。 塔が放つ光があまりに明るいので、大阪や堺の海では魚が取れなくなり、困った漁民たちはついに大安寺に押し寄せ、火…
延久(えんきゅう)年間(1069年頃)のこと、金峯山へ参詣する修験者の一行の中に、つねづね神仏をあなどる男がいた。 あるとき、この男が行者の精進や仏の力を侮辱する言葉をはいた。 すると突然、空一面まっ黒な雲につつまれ、その男は一羽の大きな鷲に断崖絶壁の上へさらわれてしまった。 さすがに男も…