鑑真和上は、唐の時代、揚州に生まれた中国の高僧。 戒律の勉学に励み、揚州大明寺の住職となった。 時に、留学生栄叡・普照(ようえい・ふしょう)を使いとする聖武天皇の請願を受けて、戒律を伝えるため渡日を決意する。 しかし、五度の難船難破に遭い、はるか南方の海南島まで漂流し、その上、失明してしまっ…
昔、楠正成が河内の赤坂城の戦いで破れて、敵におそわれ、田尻の十丈坊まで落ちのび清水を飲んでいた。 そこへ敵の大軍が国分峠から打ち寄せ、その時、敵の坂田新之丞の放った矢が正成の胸の辺りにあたった。 正成は驚いてその矢を抜くと、不思議にも一滴の血も流れず、なんの傷痕もなく、替りに、観音経を入れた…
天平年間(729年~49年)のこと、厳しい修行の末に体得した空飛ぶ術を使って、一人の仙人が空を飛んでいた。 すると眼下に流れる小川のほとりで、若い娘が洗濯をしていた。 前の川面を見ると娘の白いすねが映え、仙人は思わず見とれてしまった。 その瞬間、術は破れて、あっという間に娘の前の川中に墜落…
奈良に都のあったころ、中国へ使いに行った遣唐使が、彼地(かのち)の女性との間に一児をもうけた。 一説によると吉備真備(きびのまきび)といわれるその遣唐使は、いよいよ日本に帰るという時、子供は迎えに来るまで大事に育てるよう頼んだ。 しかし何の便りもない日々が続き、ついにその仕打ちに腹を立てた…
今から八百年ほど前のこと、三輪山の麓に弘法大師の生まれかわりだといわれたほど、えらい高僧・慶円(きょうえん)が住んでいた。 ある日、室生の爪出橋(つめでのはし)の上に、薄着で顔を覆った美しい女性が佇(たたず)んでいた。 信心深い慶円は、その女性が竜の化身であることはすぐわかったが、夕暮れ時に…
江戸時代の寛文(1661年~73年)の頃、盲目の沢市は、お里と壷阪寺の近くに所帯を持っていた。 三年ほどたったある日、毎晩外へ出かけるお里を激しく詰(なじ)った。 すると彼女の口から、沢市の眼が治るように毎晩壷阪の観音様に祈願しており、今夜が満願の夜であることを知らされた。 思いがけない事…