融通念仏宗のご本尊とお仏壇の飾り方
元祖・良忍上人の説くところ
一人一切人 一切人一人
一行一切行 一切行一行
これは融通念仏の根幹をなす偈文である。一(個)と一切(全体)とは互いにかかわりあいをもち、決して単独に存在するものではない。華厳でいう一即一切、一切即一の関係である。
私一人は他の多くの人たちの中に生かされ、他の多くの人たちは私一人の中に摂まりつくすものであるというのが一人一切人、一切人一人である。これは人と人との融通を説いたもの。
つぎに、一つの行ないは必然的に他のすべての行ないと関連して、一と一切とが密接にかかわりあっていることを述べたのが一行一切行、一切行一行である。
特に念仏を唱える一行は諸善万行に融通して、念仏の徳があらゆる行ないに溶け入っていく、と説かれている。
融通念仏宗のご本尊と歴史
ご本尊
十一尊天得如来
(じゅういっそんてんとくにょらい)
脇侍
ご本尊に向かって右側…良忍上人
ご本尊に向かって左側…法明上人
開祖
良忍上人(1072~1132)
宗紋
お唱えする言葉
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
経典
『華厳経』『法華経』
総本山
大念仏寺 大阪市平野区平野上町
教義
融通のはたらき(溶け合い和合すること)の中では、一人の念仏は小さくとも、同時に一切の人に功徳を分かち、一切の人の念仏が一人の上に注がれてくる。
念仏こそすべての善行の根本であり、すべての善行は念仏の中に摂(おさ)まってくるため、信徒は毎朝十遍の念仏と、日課念仏百遍を称えることが大切なつとめと説いています。
融通念仏宗の歴史
融通念仏宗は、良忍上人によって開かれた宗派です。
良忍は十二歳から比叡山で堂僧(堂守り)として修業する傍ら、天台の学問はもとより密教や戒律の修法にも努め、二十一歳で多くの学侶を教導する講主の職に任ぜられることになります。しかし学問の議論ばかりが先走り、真に道を求める心が薄れていることを嘆いていた良忍には、当時の比叡山は決して修行に適した環境ではなくなっていました。
そして、二十三歳にして良忍は洛北大原に隠棲して修練を積み、1117年(永久5年)阿弥陀仏の示現を受け、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から融通念仏を創始し、称名念仏で浄土に生まれると説き、結縁した人々の名を記入する名帳を携えて各地で勧進を行いました。四天王寺に参籠した時に見た霊夢により、摂津国住吉郡平野庄(現大阪市平野区)の領主の坂上広野の邸宅地に開いた修楽寺が、その後の融通念仏の総本山の大念仏寺の前身です。
融通念仏宗の主な年中行事
月 | 日 | 行事 |
1 | 1 | 修正会 新しい年を寿ぎ、ご本尊守護のもと一年の安泰を祈る |
1 | 16 | 百万遍会 一人の念仏の功徳が千人万人に融通して大きな功徳を生むことを表現した行事 |
2 | 26 | 元祖聖應大師御忌法要 元祖良忍上人(聖應大師)の祥月ご命日 |
3 | 3 | 河内御回在ご出光 鉦を打ち鳴らしながら御本尊十一尊天得如来をかついで檀家を回り先祖の追善回向、家々の祓い、身体堅固等の祈祷をなす |
3 | 5 | 再興大通上人御忌法要 再興の祖、第四十六世 大通上人の祥月ご命日 |
3 | 下旬 | 春季彼岸会 春分の日の前後 |
5 | 1~5 | 万部法要 一般的に「万部おねり」の名で親しまれている |
7 | 7 | 中祖法明上人御忌法要 中興の祖、第七世 法明上人の祥月ご命日 |
8 | 16 | 孟蘭盆会、法界大施餓鬼、万灯会 法界施餓鬼は三界万霊といわれる天地に満ち溢れるあらゆる生物を供養するのが特徴 |
9 | 9 | 大和御回在ご出光 鉦を打ち鳴らしながら御本尊十一尊天得如来をかついで檀家を回り先祖の追善回向、家々の祓い、身体堅固等の祈祷をなす |
9 | 下旬 | 秋季彼岸会 秋分の日の前後 |
12 | 31 | 除夜法要、除夜の鐘 過ぎゆく一年を静かに振りかえり、新年への精進の誓いをこめて除夜の鐘を撞く |