天台宗のご本尊とお仏壇の飾り方
宗祖のことば ―伝教大師―
一隅を照らす、此れ即ち国の宝なり
『天台法華宗年分学生式』より
伝教大師最澄の最も有名なこのことばは、次のような一節に続いて書かれたものです。
国の宝とは何者ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国の宝となす。故に古人言わく、径寸十枚是れ国の宝にあらず。
むかし、中国の魏王が、自分は、直径一寸もある宝玉を一〇枚も持っていると自慢しました。すると、斉王は、自分は宝物は持っていないが、立派な家来たちがいて、それが国の宝だと語ったという、故事があります。
伝教大師は、この故事を引いて、私たち一人一人が国の宝にならなければいけないと、説かれているのです。
「道心」とは、仏道を求める心です。天台宗の教えの根本は、すべて生きとし生けるものは仏になれ、仏への一すじみちをいく教えしかない、というものです。
皆成仏道(だれでも仏になれる道)の実現のためには、すべての他の人々が仏になることを手助けしなければなりません。
これが、一隅を照らすことであり、天台宗徒の生き方です。
天台宗のご本尊と歴史
ご本尊
阿弥陀如来(あみだにょらい)
釈迦如来(しゃかにょらい)など
脇侍
ご本尊に向かって右側…天台大師智顗
ご本尊に向かって左側…伝教大師最澄
お唱えする言葉
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
経典
『法華経』『大日経』『金剛頂教』『般若心経』『浄土三部経』
総本山
比叡山延暦寺 滋賀県大津市坂本本町
*「日本仏教の母山」と呼ばれています*
教義
お釈迦様の最高の教えである法華経を最高の経典として、「人間だれでも仏性がある。それを開花するように努力すればだれでも仏になることが出来る」と教えています。
天台宗の歴史
日本の天台宗は、今から1200年前の延暦25年(806)、伝教大師最澄によって開かれた宗派です。
比叡山で十三年間修行を積んだ最澄は、三十八歳のとき、遣唐使の一員として唐に渡ることになりました。このとき唐に向かった船は、全部で四隻。この中には、空海が乗った船もありました。途中、激しい暴風雨にあい、遭難する船が出るなど、航海は困難を極めました。しかし、最澄と空海が乗っていた二隻だけは、かろうじて唐に漂着したのです。こうした苦労の末渡った唐で学んだものをもとに、最澄は天台宗を開いたのです。
しかし、その当時の仏教とは激しく対立しました。仏陀になるための修行方法は、人々の性格や能力によって違い、仏陀には縁のない人もいるというこれまでの教えに対し、最澄はだれもが仏陀になれると主張したのです。
また、奈良でしか僧として認められないという制度にも反対し、政治権力と結びつかない仏教をめざしました。
天台宗の主な年中行事
月 | 日 | 行事 |
1 | 1 | 修正会(しゅしょうえ) 新年の除災招福・豊穣安穏を祈願する法会 |
1 | 26 | 開宗記念法要 |
2 | 上旬 | 節分会(せつぶんえ) 立春の前日で、新春を迎えるにあたって行われる除災招福を願う法会 |
2 | 15 | 涅槃会(ねはんえ) お釈迦さまが亡くなられた日に、そのご遺徳をしのんで、涅槃図などを掲げて行う法会 |
3 | 下旬 | 彼岸会(ひがんえ) 春分の日の前後三日間 |
4 | 4~11 | 御修法大法(みしほたいほう) |
4 | 8 | 花祭り・潅仏会(はなまつり・かんぶつえ) お釈迦さまの誕生を祝う法会 |
6 | 4 | 山家会(さんげえ) 宗祖伝教大師最澄さまの忌日に、その報恩謝徳のために修する法会 |
8 | 13~16 | 盂蘭盆会(うらぼんえ) 一般的にお盆といわれています |
8 | 17~18 | 伝教大師誕生会 |
9 | 下旬 | 彼岸会(ひがんえ) 秋分の日の前後三日間 |
11 | 24 | 霜月会(しもつきえ) 中国天台宗の高祖天台智者大師智顗さまの忌日に、その報恩謝徳のために修する法会 |
12 | 8 | 成道会(じょうどうえ) お釈迦さまがお悟りを開かれた(成道)のを記念して修する法会 |
12 | 31 | 除夜の鐘 |