武芸の隆盛な戦国時代、興福寺の一院である宝蔵院に、生来槍術の好きな胤栄(いんえい)という法師がいた。
槍術を深めるために精魂を傾けていた胤栄は、ある夜、猿沢池の水に映る月影を眺めていた。
その時、ふと鎌槍を思いつき、以来独自の槍技の練磨に励み、ついに天下無敵といわれる宝蔵院流の極意を編み出したという。
我が国の武道史の中で、僧の武芸者として最も名高い胤栄は、宝蔵院流槍術を広めるという流祖の役目を果たし終えた晩年には、一切の武芸を捨て、隠居の余生を送ったという。
また胤栄は、自ら創始した鎌槍の奥義を極めるために、興福寺の子院であった成身院の大石で修業したと伝えられている。
この麻利支天(まりしてん)と呼ぶ石は、今もなお奈良菩提町の旧石崎文庫の庭に残っている。
興福寺地図
アクセス
近鉄奈良線「近鉄奈良駅」より徒歩約4分